東中野・方南町・新宿でヨガ。 心と身体にひびくヨガ。
この投稿をInstagramで見る 大切にしていることvoi.3 ”生活ヨガ” 今、”ヨガをする”というとどんなことをイメージしますか。 ヨガマットを敷いて。 ヨガウエアを着て。 スタジオに足を運んで。 60分や45分のクラスを受ける。 そこで、生活から少し離れて、自分の好きな時間を過ごし、心を自分に戻していくことはとても意味のあることです。 私も90分のヨガクラスをしていますし、1週間このクラスを楽しみにしてきました~!なんて言ってもらえる時には心から嬉しいものです。 でも、私は、クラスだけで終わらせるのではなく、 ”生活の中でヨガを活かす”ことが一番大事だと思っています。 これを沖ヨガでは”生活ヨガ”といいます。 少し沖ヨガについてご紹介します。 「沖ヨガのルーツは、戦後に沖正弘先生により結成された日本人国際平和奉仕団にあります。一人一人の心の中に平和心を生まれなければ真の平和な世界は来ないという沖先生の確信からです。 沖正弘先生は、青年時、軍の特務機関員として、世界中の医療法を修得し、宗教面でもイスラム教、ラマ教、道教、仏教、キリスト教の寺院や修道院での修行体験を持っています。 1942年にマハトマ・ガンジーとの出会いもあり、日本で最初のヨガ研修会を創立し、戦後も平和活動、救済活動、哲学の研究をし、数多くの若者を奉仕団として世界中に送っています。」 もともとヨガは、グルという師とともに生活を共にし、その師を真似ることがはじまりでした。 沖先生も、マハトマ・ガンジー師との生活が今日の沖ヨガのヒントになっていると言います。 沖先生の著書「ヨガの喜び」の中で ガンジー師は、 「私自身、生活そのものをヨガとして行じているから、私の生活ぶりを見て、ヒントをつかみなさい」 と言い、 そして、沖先生は、ガンジー師と生活を真似しているうちに、 「ヨガは自然法則に従うこと、自然法則に従うとは、自分がたえまなく変化し、心の面ではつねに進化しながら、同時にバランスをとって、安定した生き方をするということ」 だと気づいたそうです。 なので、過去の沖ヨガ道場では、生活をともにする長期間の合宿を大切にし、断食や玄米菜食、ジョギング、強化法、浄化法、精神修養のための講義。 具合の悪い人も来ていたので、鍼灸、指圧、民間療法など、さまざまなことに取り組んでいたそうです。 残念ながら、私自身は、もう沖先生が他界されたあとに生まれているので、実際にこの道場体験をしたことがありません。 ですが、2~3泊や、7泊など、合宿に参加したり、師である龍村先生、永井先生。 仕事を通して、毎日沖ヨガの先生がたから学ばせていただいたく中で、生活をヨガ化するということの大切さを実感してきました。 そのようにヨガをとらえていると、 90分のクラスのなかでおこってくる、短い時間の経過の中でのバランスの変化とはまた違う、日々継続しているからこそのバランスの変化を感じることができます。 だからと言って、なにもどっぷりヨガ漬けになる必要はありません。(好きならぜひ!) ヨガはマットの上でするもの という捉え方をちょっと変えて 日々の自分を観察することからはじめてみてください。 私も基本的に怠け者ですから、 日によっては、今日は動きたくないなー。なーんにもしたくないなー。と、いう日もあります。 でも、ヨガをアサナをするものと、捉えてしまうと、動きたくない日は、ヨガをしていない日になってしまいます。 でも、ほんとうは、この動きたくない日に自分の心と体にじっくり目を向けて、どうすれば、気持ちよいか、心と体はなにを求めているかをじっくりと感じることが大切だと思います。 もしかしたら、食べすぎているのかもしれないし、動かなすぎてダルいのかもしれないし、本当に心と身体が休みたいと言っているのかもしれません。 それがわかるのは、 誰でもない"自分"だけです。 そこで、食べ方を変えてみる、歩き方を変えてみる、寝方を変えてみる、とことん休んでみるなど。 さまざまな工夫をすることが、体の法則や心の法則を掴み、自己の生活に活かすことだと思うのです。 頑張るのではなく、いま自分に必要な刺激が何なのかを知り、自分が心地よいように自分を活かすこと。 心地よい日は何もしなくても心地よい。 だから、自分にとってなんだか停滞しているな、今はちょっと落ち込んでいるな。 そんな時期こそ、ぜひ身体だけでなく、心に意識を向けてヨガをしてみてください。 きっと、なにか、感じるものがあると思います。 きえ/KiiYOGA(@kiiyoga)がシェアした投稿 - 2020年 6月月2日午前6時10分PDT
大切にしていることvoi.3 ”生活ヨガ” 今、”ヨガをする”というとどんなことをイメージしますか。 ヨガマットを敷いて。 ヨガウエアを着て。 スタジオに足を運んで。 60分や45分のクラスを受ける。 そこで、生活から少し離れて、自分の好きな時間を過ごし、心を自分に戻していくことはとても意味のあることです。 私も90分のヨガクラスをしていますし、1週間このクラスを楽しみにしてきました~!なんて言ってもらえる時には心から嬉しいものです。 でも、私は、クラスだけで終わらせるのではなく、 ”生活の中でヨガを活かす”ことが一番大事だと思っています。 これを沖ヨガでは”生活ヨガ”といいます。 少し沖ヨガについてご紹介します。 「沖ヨガのルーツは、戦後に沖正弘先生により結成された日本人国際平和奉仕団にあります。一人一人の心の中に平和心を生まれなければ真の平和な世界は来ないという沖先生の確信からです。 沖正弘先生は、青年時、軍の特務機関員として、世界中の医療法を修得し、宗教面でもイスラム教、ラマ教、道教、仏教、キリスト教の寺院や修道院での修行体験を持っています。 1942年にマハトマ・ガンジーとの出会いもあり、日本で最初のヨガ研修会を創立し、戦後も平和活動、救済活動、哲学の研究をし、数多くの若者を奉仕団として世界中に送っています。」 もともとヨガは、グルという師とともに生活を共にし、その師を真似ることがはじまりでした。 沖先生も、マハトマ・ガンジー師との生活が今日の沖ヨガのヒントになっていると言います。 沖先生の著書「ヨガの喜び」の中で ガンジー師は、 「私自身、生活そのものをヨガとして行じているから、私の生活ぶりを見て、ヒントをつかみなさい」 と言い、 そして、沖先生は、ガンジー師と生活を真似しているうちに、 「ヨガは自然法則に従うこと、自然法則に従うとは、自分がたえまなく変化し、心の面ではつねに進化しながら、同時にバランスをとって、安定した生き方をするということ」 だと気づいたそうです。 なので、過去の沖ヨガ道場では、生活をともにする長期間の合宿を大切にし、断食や玄米菜食、ジョギング、強化法、浄化法、精神修養のための講義。 具合の悪い人も来ていたので、鍼灸、指圧、民間療法など、さまざまなことに取り組んでいたそうです。 残念ながら、私自身は、もう沖先生が他界されたあとに生まれているので、実際にこの道場体験をしたことがありません。 ですが、2~3泊や、7泊など、合宿に参加したり、師である龍村先生、永井先生。 仕事を通して、毎日沖ヨガの先生がたから学ばせていただいたく中で、生活をヨガ化するということの大切さを実感してきました。 そのようにヨガをとらえていると、 90分のクラスのなかでおこってくる、短い時間の経過の中でのバランスの変化とはまた違う、日々継続しているからこそのバランスの変化を感じることができます。 だからと言って、なにもどっぷりヨガ漬けになる必要はありません。(好きならぜひ!) ヨガはマットの上でするもの という捉え方をちょっと変えて 日々の自分を観察することからはじめてみてください。 私も基本的に怠け者ですから、 日によっては、今日は動きたくないなー。なーんにもしたくないなー。と、いう日もあります。 でも、ヨガをアサナをするものと、捉えてしまうと、動きたくない日は、ヨガをしていない日になってしまいます。 でも、ほんとうは、この動きたくない日に自分の心と体にじっくり目を向けて、どうすれば、気持ちよいか、心と体はなにを求めているかをじっくりと感じることが大切だと思います。 もしかしたら、食べすぎているのかもしれないし、動かなすぎてダルいのかもしれないし、本当に心と身体が休みたいと言っているのかもしれません。 それがわかるのは、 誰でもない"自分"だけです。 そこで、食べ方を変えてみる、歩き方を変えてみる、寝方を変えてみる、とことん休んでみるなど。 さまざまな工夫をすることが、体の法則や心の法則を掴み、自己の生活に活かすことだと思うのです。 頑張るのではなく、いま自分に必要な刺激が何なのかを知り、自分が心地よいように自分を活かすこと。 心地よい日は何もしなくても心地よい。 だから、自分にとってなんだか停滞しているな、今はちょっと落ち込んでいるな。 そんな時期こそ、ぜひ身体だけでなく、心に意識を向けてヨガをしてみてください。 きっと、なにか、感じるものがあると思います。
きえ/KiiYOGA(@kiiyoga)がシェアした投稿 - 2020年 6月月2日午前6時10分PDT